我が家の話は、母目線だったり、娘目線だったり、気まぐれに変わる。
今回は、父の視点から見えた夜のこと。
夕飯のあと、テーブルの上に文庫本が三冊。
娘が「これ、ママから借りたけど、ほんとすごいから読んでみて」と差し出したのが、
まさかの『人間失格』だった。
父は眉をひそめてページを開く。
「これ学校で読んでいいの?内容けっこう暗くない?」
娘はケロッとして、「だから面白いんじゃん」と笑う。
母は黙って湯気の立つルイボスティーを置いた。
たぶん、勝負はもうついていた。
純文学って、クズ男の話じゃないの?
父の最初の感想がそれだった。
「純文学って、だいたいクズ男が出てくるやつじゃない?」
以前アマプラで又吉の『劇場』を見て、
「これも純文学ってやつか」と思ったらしい。
「繊細ぶってるけど行動は全部空回り」──と熱弁する父に、
娘は笑いをこらえ、母は「それが人間味よ」と返す。
父は「ふーん」と言いながらも、
ページを閉じるタイミングをつかめず、結局最後まで読んだ。
“わからない”ままでも、なぜか心に残る。
それが純文学の厄介なところだ。
第二弾は乱歩。父のボケが炸裂する
少しして、娘がまた本を差し出した。
「次これ、『D坂の殺人事件』」
父はタイトルを見て首をかしげた。
「D坂?46人でもいんのか?」
娘は即座に「それ坂道グループでしょ」と返し、
母がルイボスティーを吹き出した。
ふわっと広がる香ばしい香り。
この家で乱歩を読むときは、たいてい香り付きだ。
読んでみると、事件よりも人間の心の描写が濃い。
“防衛本能”みたいな部分にゾワッとする。
艶福とか、だんだら染めとか、
意味はすぐ出てこないけど、なぜか頭に残る。
古い言葉なのに湿度があって、生きてる感じ。
乱歩の世界には、時代の埃っぽさと妙な艶が同居している。
娘は「乱歩って、怖いのにちょっとオシャレだよね」と言った。
父は「オシャレって感想は初めて聞いた」と笑った。
けれど笑いながら思っていた。
“わからない”ことを楽しめるって、案外すごいことかもしれない。
家族の本棚は、性格診断みたいなもの
数年前の休日、本屋に行った日のことを思い出す。
「ひとり一冊好きなの買おう」って言って、
娘は中原中也、母はシェイクスピア。
そして父は、なぜか背伸びして『涼宮ハルヒの憂鬱』。
帰り道、娘が「パパ、それラノベだよ」と言ったときの空気を、
家族全員がいまだに覚えている。
実のところ、父の初めての活字本は『うしおととら』の小説版だった。
いま思えば、あの頃の俺にはそれが精一杯。
けど、あの一冊で“言葉っておもしろいかも”と思えたのも事実だ。
本棚を見れば、家族の性格が丸わかりだ。
文学的・知的・中二病。
夕飯のカレーの香りと、ルイボスティーの匂いと、紙の手ざわりが混ざっている。
きれいに凸凹していて、悪くないバランス。
今日のひとカケ🧊
46人いなくても、
娘の世界にちょっと混ざれた気がした。

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