ものぐさの、いちばん遠い近道。

トイレットペーパーの芯が、足元に転がっている。

ゴミ箱まで3歩。拾って捨てれば、5秒で終わる話だ。

でも、いない。

なんとなくよけて、なんとなくまたよけて、気づいたら3日くらい一緒に暮らしている。


コンビニへの帰り道、サンダルに小石が入った。

止まって取れば、5秒で終わる話だ。

でも、止まらない。

足をパタパタさせながら歩く。砂が落ちるように、なんとなく地面に足を打ちつけながら歩く。当然、取れない。そのうちペンギンみたいな歩き方になってくる。違和感を感じながら、でも止まらない。帰り着くまで取れなかった。

(玄関でサンダル脱いだとき、米粒くらいの石が出てきた。)


車でまとめ買いして帰ったとき、袋がいくつあっても一発で運び切りたい。

2回に分ければいいのはわかっている。でも、なぜか一発にこだわる。重い。指が食い込む。「ちぎれるんか」と自分でも思う。それでも運ぶ。

部屋に入って、ようやく袋を置いて。

ケータイ、車に忘れた。

結果、2ターンした。


こういうのを「ものぐさ」と呼ぶのかどうか、ちょっと怪しいと思っている。

サボっているわけじゃない。むしろ逆で、なんか変なところで意地を張っている。「止まりたくない」「やり方を変えたくない」みたいな、謎の保守性がある。省エネを目指した結果、一番消耗している。

そういえば、昔聞いた話がある。自販機の下に落ちた5円以下の小銭は、拾うために使うカロリーのほうが高いらしい。だから拾わないほうが経済的だ、と。

(諸説あります。)

なるほど、と思った。ものぐさには、合理性という名の免罪符がある。


芯は3日で誰かが捨てた。小石は帰り着いてから取れた。袋は全部一発で運べた。

まあ、結果オーライ。


✍️ 似たような日常の話は、せんたくは計画的に。庭のドレスコードは、長靴から。にも。

今日も角砂糖ひとカケ🧊
芯なしという聖剣を手に入れた。