「ギブ・アンド・テイク」という本を読んだ。
アダム・グラントという組織心理学者が書いた本で、人間を3タイプに分けて、どのタイプが長期的に成功するかを分析している。
ギバー(惜しみなく与える人)、テイカー(自分の利益を最優先する人)、マッチャー(バランスをとる人)の3つだ。
いちばん上も、いちばん下も、ギバーだった
最初に成功するのはテイカーだ。でも長期的に最も成功するのはギバーだという。
ここまでは、まあそうだろうなと思って読んでいた。おっと思ったのはその先で、成績のいちばん下にいるのも、やっぱりギバーなのだそうだ。上と下の両方に固まっている。
沈むほうは「自己犠牲型」。頼まれたら全部引き受けて、自分の時間も気力も削って、最後に燃え尽きる。
浮かぶほうは「賢いギバー」。与えながら、自分もちゃんと守る。テイカーを見分ける目を持っていて、消耗しない。与えることを戦略にしているわけではないけれど、結果としてそれが信頼になって返ってくる。
同じ「与える人」なのに、線の引き方ひとつで両極に分かれてしまう。ここがいちばん怖いところだと思った。
で、自分はどれか
読み終わって、自分がどのタイプかを考えた。たぶんマッチャーだ。与えたぶんは返ってほしいと思っている。損したくないという気持ちがある。
でもこの本を読んで、少し変わった気がする。与えることを損だと思わなくなった、というより、損かどうかを考えるのをやめた感じ。そういう計算をしている時間が、いちばんもったいないのかもしれない。
庭で、たまたま同じことをしていた
書いていて思い出したのだけれど、これに近いことを、庭でやっていた。
剪定して出た枝を、ついでに挿しておいたら、思った以上についてしまったことがある(→残ったのは、香る木だけ。)。沈丁花もクチナシも全部発根して、置き場がなくなった。それで、知人に配った。
あのとき、見返りは何も考えていなかった。というより、引き取ってもらえて助かったくらいの気持ちである。余った苗を配るのは、与えているようでいて、こっちの置き場問題の解決でもあった。
賢いギバーというのは、案外こういうことなのかもしれない。無理をしていないから続く。自分が困らない範囲で配っているから、消耗しようがない。……と書くと立派だけれど、要するに置き場がなかっただけである。
しかもうちの庭は、もらう側でもある。実家に帰るたび、ブルーベリーの枝を切らせてもらって帰ってきている(→年末年始、なんかやった感を出しただけの園芸記録)。もらって、増やして、余ったら配る。
同じ庭の中で、テイカーもギバーも普通にやっている。人間もたぶんそんなもので、どれか一つに固定されているわけではないのだと思う。
計算をやめると、頭が静かになる
この本のいいところは、「与えなさい」と説教してこないところだった。
与える人が勝つ、という話に見えて、実際に書いてあるのは線の引き方のほうである。どこまで与えて、どこで止めるか。そこを間違えると、同じ善意で底に沈む。
なので読み終わったあと、急に親切な人間になったりはしていない。ただ、「これ、返ってくるかな」と考える回数が減った。それだけでも、頭のなかがちょっと静かになった気がする。
📚 他の本の感想もどうぞ。『自分で選んでいるつもり』(心理バイアスの本)や最後の絵に、少女はいない。もよければ。
今日も角砂糖ひとカケ🧊
与える量より、与える気持ちの問題らしい。