庭にビワが生えている。

植えた覚えはない。というより、誰も植えていない。
夫が、食べたあとの種を庭にペッと捨てていた。それだけである。
それだけで、生えてくるらしい。
毎年、届く
うちにはビワが届く。夫の実家からである。
箱で来る。おすそわけ、という量ではない。あちらでは庭にもなるし、近所からももらうそうで、むしろ処理に困っているらしい。
そういう話を聞くたび、産地というのはそういうものかと思う。
調べたら、ビワの生産量は長崎県が日本一だった。全国のシェアの三割以上を占めていて、二位の千葉県の一・五倍ほどある。茂木びわの名前はよく見かける。
穫れるところでは、本当に穫れる。
そして、うちに届いたぶんを夫が食べて、種が庭に出る。何年かそれが続いて、こうなった。
挿し木は、全滅していた
先日、七種類の挿し木の成績を発表する記事を書いた。沈丁花もクチナシも全部ついたのに、いちばん自信のあったビワだけが全滅した回である。

三本挿して、三本とも枯れた。
調べたら、ビワは挿し木では発根率が低く、ついても根の張りが悪いのだという。だから普通は接ぎ木か実生で増やす、と。
そう書いた記事の、すぐ横で。
頼んでもいない実生が、勝手に育っていた。
ただし、実は八年後らしい
いい話で終わらせたいところだが、調べたら雲行きが怪しくなった。
種から育てたビワが実をつけるまで、八年から十年。環境によっては十年以上かかることもあるという。接ぎ木の苗なら、三年から五年である。
そしてもうひとつ、決定的なことが書いてあった。
種から育てると、親と同じ実にならない。形質が揃わないので、実を採る目的では使われない。
実生の本来の使い道は接ぎ木の台木だそうだ。二年から三年育てて、幹の直径が一・五センチくらいになったところで、欲しい品種の枝を接ぐ。適期は三月。
台木という言葉には、最近ちょっと縁がある。株元から出てきたものを台木のひこばえだと疑って切った話を、つい先日書いたばかりだ。
桃栗三年柿八年、その先
八年と聞いて、思い出したことがある。
桃栗三年柿八年。
これには続きがあると聞いたことがあった。うろ覚えだが、たしか柚子が出てくる。調べたら、あった。
柚子の大馬鹿十八年。
ずいぶんな言われようである。実がなるまで時間がかかる木ほど、扱いがひどくなっていく。梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、蜜柑のまぬけは二十年、というバージョンもあるらしい。
私が知っていたのは、ここまでだった。
では、ビワはどこにいるのか。
いた。しかも、かなり古いところに。
江戸時代の『譬喩尽(たとえづくし)』という書物に、こう載っている。
桃栗三年柿八年 枇杷は九年で登兼る 梅は酸い酸い十三年
「登兼る」はなりかねると読む。九年たっても、なりかねる。ならない、である。
柚子は「大馬鹿」と罵られてはいるが、十八年で一応なる。ビワは年数が短いのに、ならないと言われている。そちらのほうが厳しくないだろうか。
そして、さっき調べた数字を思い出してほしい。実生は八年から十年。
九年でなりかねる。
だいたい合っている。二百年以上前の言い回しが、いま調べた栽培の実情とほぼ一致した。
ちなみに、この続きは地方によってかなり変わるらしい。柚子が九年のバージョンもあれば、十三年のバージョンもある。梅が十八年になっていたり、林檎や銀杏まで出てきたり、しまいには人間の話にまで及ぶものもある。
口伝えで転がっていくうちに、みんな好きな木を足したのだろう。ビワは、その途中で落ちた側だったということになる。
家がつぶれる、と言われて育った人
ビワには、有名な言い伝えがある。
私の家では、こう言われていた。
——ビワは、庭に植えるもんじゃない。
理由は言われなかった。ただ「植えるものではない」とだけ聞かされてきた。
面白いのは、夫の実家にも同じ話があったことだ。ただし、言い方が強い。
——ビワを庭に植えると、家がつぶれる。
そちらは、家がつぶれるところまで言うらしい。しかも夫は、これをお金の話だと思っていたそうだ。貧乏になって家が傾く、という意味だと。
たしかに日本語の「つぶれる」は、そのどちらでも通る。建物がつぶれるのか、家業がつぶれるのか、言葉だけでは決まらない。子どもは、こわいほうに受け取る。
そういえば、この手の話を聞くのは二度目である。庭に紫陽花を植えてはいけないという話も、母に言われて育った。あちらは「色が変わる花=心変わり」「青い花が青息吐息に見える」あたりが由来らしい。
庭に植えてはいけない木の話は、どの家にもひとつずつあるのかもしれない。
調べたら、どれも当たっていた
由来を調べてみると、諸説あった。
ひとつは薬効の話で、ビワの葉が咳止めや炎症に効くとされ、民間療法で使われていた。病を抱えた人がビワの木のある家に集まってきたので、ビワの木には病人が集まるという見え方になった、という説。
もうひとつは環境の話で、常緑で葉が密に茂るため日差しを遮り、家が湿りがちになる、という説。
そして三つめが、いちばん刺さった。
実がなるまでに年月がかかりすぎて、ビワを楽しむころには人間のほうが老いてしまう。だから縁起が悪い、という説である。
八年から十年。さっき調べた数字と、ぴたりと合ってしまった。迷信のほうが、栽培の実情をちゃんと踏まえている。
では「家がつぶれる」はどうか。こちらは調べた範囲では出てこなかった。似た言い伝えとしては、桜のほうが有名らしい。根が横に這って家の基礎を壊すから庭に植えるな、というやつである。
ただ、的外れでもなかった。
ビワは自然樹形で二〜五メートル。放っておくと十メートル近くまで育つ。剪定して二メートル前後に抑えるのが前提の木だ。家の横で十メートルになる常緑樹。日は入らなくなるし、枝は屋根にかかる。
つぶれる、は言い過ぎでも、家に良くはない。
夫が勝手に足していた「貧乏になる」だけが、どこにも出てこなかった。あれは本人が自分でこわがっていただけらしい。
庭は、広さではなかった
整理すると、この木はこうなる。
実が生るのは八年後。生っても親と同じ味ではない。本来の使い道は台木。放っておけば十メートル。おまけに、どちらの家からも「植えるな」と言われている。
いいところが、ひとつもない。
そのうえ、うちの庭は狭い。植えたい果樹は次々に出てくる。
果樹を選ぶとき、うちにはいくつか基準がある。味だけではない。家族が食べ続けられるか。収穫量はあるか。育てやすいか。ブルーベリーを何本も植えているのも、皮ごと食べられて食物繊維が摂れるからだ。甘いものを我慢するより、食べていいものを増やしたい。
その基準で見ると、実生のビワは落ちる。八年待って、どんな実がなるか分からない木に、庭の一等地を渡す理由がない。
抜くのが、いちばん筋が通っている。
それでも、抜かない
そのはずなのだが、夫が抜かない。
強く主張するわけでもなく、ただ抜こうとしない。
理由は、たぶんこれだと思う。あちらの両親も、年を取ってきた。
毎年あたりまえに箱で届いていたものが、あたりまえではなくなる日が、いつか来る。そうなったとき、この木だけが残る。
処理に困るほど穫れて、余って、こちらに回ってきた実である。ありがたがられてもいない、余りものの種だった。それが、うちの庭で芽を出した。
そういうものは、なんとなく捨てにくい。
だから、今年はこのまま置いておくことにした。
実のためではない。つながっているから、置いておく。それだけの理由である。
八年かかることも、親と同じ味にならないことも、放っておけば十メートルになることも、両方の家から「植えるな」と言われてきたことも、全部わかったうえで。
わかったうえで、今年は動かさない。
来年もたぶん、箱は届く。
| 木 | ビワ(実生・夫の実家から届いた実の種) |
| 経緯 | 夫が食べたあと、庭に種を捨てただけ。植えていない |
| 産地 | ビワの生産量は長崎県が日本一(全国シェア三割超・二位の千葉県の約一・五倍) |
| 結実まで | 実生は八〜十年(環境により十年以上)。接ぎ木苗なら三〜五年 |
| 注意 | 種から育てると親と同じ実にならない。実生は主に接ぎ木の台木に使う(二〜三年育てて幹の直径一・五センチ以上、適期は三月) |
| 樹高 | 自然樹形で二〜五メートル。放置すると十メートル近く。剪定して二メートル前後に抑えるのが前提 |
| 挿し木 | 発根率が低く、ついても根の張りが悪い。うちは三本とも全滅した |
| 言い伝え | 「庭に植えると病人が出る」=①葉が薬になり病人が集まった ②常緑で日を遮り家が湿る ③実るころには自分が老いている |
| 今年の扱い | 抜かずにこのまま置いておく。実を採るためではなく、つながっているから |
今日も角砂糖ひとカケ🧊
なりかねても、つないでみる。