市総体だった。
応援というものは、実のところ、待ち時間でできている。出番と出番のあいだの長い空白に備えて、かばんに本を入れてきた。
ヨシタケシンスケの『ヨイヨワネ あおむけ編』。弱音の本だ。

体育館の歓声をBGMに、弱音の本を読む。妙な取り合わせだけど、これがよく合った。
読み始めてすぐ、懐かしい感覚になった。相田みつをの詩を初めてちゃんと見たときの、あの感じ。短い言葉なのに、急に自分の話をされる。
中身は紹介しない。引用したい言葉だらけだったけど、それは本を開いた人のお楽しみに取っておく。
代わりに、読みながら考えたことを置いておく。
弱音は、ためると重い。
言葉にして、いったん自分の外に置く。それだけで少し軽くなる。たぶん弱音は、はくためにある。
日常の、誰にも見せないような小さな場面がたくさん出てくる。靴下とか、布団とか、そういうやつ。それを読んで笑えるということは、自分のそういう場面も誰かと地続きなんだと思えるということで、それだけでだいぶ救われる。
不自由と自由の話も良かった。
考えてみれば、この読書も大会の待ち時間という不自由の中で生まれている。自由は、不自由の隙間にしか生まれてくれないのかもしれない。
読み終えて顔を上げたら、ちょうど出番だった。
応援に来たはずなのに、先に応援されたのはこっちだった。
📚 ヨシタケシンスケさんの本は最後の絵に、少女はいない。でも書きました。読後の口直しの話はやな後味には、おいしいごはん。に。
今日も角砂糖ひとカケ🧊
応援の合間に、応援されていた。