ヨシタケシンスケ展に行ってきた。
久しぶりに家族そろっての遠出だった。会場が遠いうえに、行ってみたらかなりの人。駐車場に車を入れるだけで、けっこうな時間がかかった。みんな考えることは同じらしい。
今週はわが家、すっかりヨシタケシンスケ祭りである。弱音の本、大喜利の本、夫が深く頷いていた本。本で追いかけていた人の、原画と原稿が目の前にある。
会場は、撮影OKだった。

この案内からして、もうかわいい。展示を見る前から、世界観に取り込まれている。
作品の写真は、載せない。あれは会場で、自分の目で見るものだ。
学生時代の作品まで展示されていて、これがすごく興味深かった。あの軽やかな世界にも、ちゃんと「はじめて」と「手探り」の時期があったのだと分かる。今の作風に至るまでの道のりが、地続きで見えた。
でも一つだけ、持ち帰った言葉がある。
みんな、今日という日ははじめてだ。
そう言われて、ハッとした。
会場には、子どもからお年寄りまでいた。みんな同じ絵の前で、同じところで笑っていた。年齢も立場もバラバラなのに、今日がはじめてという一点では、全員が横並びだった。
はじめてのことは、たいてい上手にできない。歩くのも、しゃべるのも、親になるのも。だから人は、子どものころからずっと、はじめてに手こずり続けている。大人になっても、それは終わらない。
今日という日も、誰にとっても、はじめての一日。だとしたら、うまくできなくても、まあ仕方ない。そういうことにしておこう。
ちょうど数日前、夫を「いちばん大きい子ども」と書いたばかりだった。あれも、はじめての毎日を生きている人、ということだったのかもしれない。ちょっとだけ、見方がやわらかくなった。
展示を出たら、世界が少し、許せる感じになっていた。
📚 今週のヨシタケ祭りの記録:待ち時間が、本番だった。/船の上で、大喜利。/子どもだなぁ。
今日も角砂糖ひとカケ🧊
はじめての一日を、また下手に生きる。