うちにも鏡はある。洗面台と、玄関の下駄箱。
でも、どちらも人が立って使うための鏡だ。床にいるこの子は、映らない。
つまりうちのコは、自分の姿を、見たことがなかった。
そのことに気づいたのは、この春、はじめての家族旅行に行ったときだった。
まだ子犬だった。迎えてから、どこにも連れて行っていなかった。犬が泊まれる一軒家のような宿を見つけて、そこにした。ホテルの一室ではなく、家がまるごと借りられる。走ってもいい。吠えても、たぶん平気。
着いて、荷物をほどいて、ごはんを食べて。夜になった。
ふと気づくと、いない。
いた。窓の前で、背伸びをしていた。

外は真っ暗で、窓は鏡になっていた。
前足を窓枠にかけて、覗き込んでいる。そこに、そっくりな犬の顔があった。
うちのコは、その顔に向かって、わんわん吠えていた。
翌朝、本番が始まった
朝の五時半すぎ。
宿には、もうひとつ鏡があった。大きな姿見。立てかけてあるタイプの、床から人の背丈まであるもの。
夜の窓に映ったのは、背伸びしてやっと届いた顔だけだった。こちらは、床に置いてある。

はじめて、全身が入った。
その前に、立っていた。
鏡の中の犬も、同じ場所に立っていた。じっと見ている。向こうも見ている。当然、見ている。
そして、体を低くした。

前足を、鏡に伸ばした。鏡の中の犬も、同じように前足を出した。ぴったり同じ場所で、肉球が触れた。
わんわん、と吠えた。相手も吠えた(ように見えた)。少し下がって、また近づいた。また吠えた。
しばらくして飽きたのか、離れていった。と思ったら、戻ってきた。第二ラウンドである。
犬は、鏡の中の自分が分からない
あとから気になって、調べてみた。ちょっと目から鱗だった。
動物に自己認識があるかを調べるミラーテストというものがあるらしい。体に印をつけて鏡を見せ、鏡ではなく自分の印を触ろうとするかを見る。チンパンジーやイルカは合格する。
犬は、合格しない。
でも、頭の良さの話ではないんですって。
ミラーテストは、目で測るテストだから。
犬の世界は、匂いでできている。だから匂いに置き換えた実験もあって、自分の尿の匂いに別の匂いをそっと足すと、犬は足されたほうを長く嗅いだそうだ。自分の匂いを覚えているから、違いに気づいた、ということらしい。
つまり犬は、自分が分からないのではない。目で分からないだけ。
鏡の中に、自分とそっくりな犬がいる。なのに、匂いがしない。
こわいというより、納得がいかなかったのかもしれない。
ワークアウト用にした
この出来事は、そのまま曲になった。Mirror Round。ヒップホップで、ワークアウトのときに聴くイメージで作った。
鏡の中のやつ who is that
俺に似てるけど I don’t know
絶対負けない tonight we fight
my only enemy is me alright
曲の終わりはこう。
何ラウンドやるんだ
まあいいか かわいいから
🎵 Mirror Round / sugari(Spotifyで聴く)
「俺の敵は、だいたい俺です。」(小山宙哉『宇宙兄弟』)
うちのコを見ていると、そこに一行足したくなる。
🧊 うちの敵は、だいたいかわいい。
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